「気」と仮山石と中国絵画

 

作品要旨

 

 今日の中国においては、都市化が進み、以前には見られなかったような経済とテクノロジーの価値を中心とした街の風景があふれている。それでも今なお伝統的な「ざんせき」が都市の中の庭園にたたずんでいる。仮山石とは、中国の庭園造形の歴史の中で用いられてきた特徴的な天然石を基とする造形のことであり、人々の自然回帰の願望をかなえるための手段と考えられている。この仮山石を制作のテーマの中心とし、そのさまざまな造形的在り様として作品は形成された。

 

 中国絵画で重視されるのは、「気」の概念が、絵画面に「気韻」として反映されることであった。私のこれまでの研究では、「気韻」は「筆法」の問題だと明らかになっている。私は、「仮山石」を制作のモチーフとして、水墨画の「筆法」という歴史的制作手法によって、油彩、アクリル絵の具など現代的な絵画の材料を用い、絵画史的、描法的、材料的、歴史的に高度に混合させた要素によって絵画作品を制作した。

本論考の副題とした「『気韻』の場」という言葉は、気論を代表とした哲学にもとづいている。仮山石と「場」、万物と万物が相互に依存し合う「時間性」 や「空間性」、「対立性」や「調和性」といった種々のテーマを、私の絵画の筆法研究によって表出させようとした。その「『気韻』の場」につながる曾超の作品を世に問うことは、私にとって極めて挑戦的な表現行為の試みである。

 

 私の絵画作品には主に二つのシリーズがある。一つ目のシリーズは、「かんぴつしゅんぽう」と名付けたシリーズである。それは、何回も塗り重ね、筆触のカサカサとした手触りの感覚を画面上に表した作品群である特に、このシリーズでは仮山石の表面が持っている物質的なデコボコ感、起伏(厚みあるところ)を具体的に表わすことが絵画成立上の重要なポイントとなっている。「乾筆皴法」を用いて仮山石を描く<KK系>の場合、仮山石の部分は、水墨画の乾筆筆法を用いて皴、点などの筆致で描いた。そこではペインティングナイフを用いて塗り重ねていった。ここで、中国古来の乾筆の筆法と西洋絵画におけるペインティングナイフによる描法を複合する「チートォ」の描法が生み出された。「気刀」によるシリーズは、大量の油彩やアクリル絵の具がキャンバスの上に炸裂したような作品である。このシリーズの作品には、相当な油彩の厚みがある、最上層の筆致を固定するため、下層の筆致の顔料やメディアムなどを乾燥させ、硬化する必要がある(硬化しないと、厚みのある筆触には積み上げることができない)。顔料メディアムなどを硬化させるまで、絵を描いてから約1週間を必要とした。さらにその後、最上層の筆触が乾燥するまで、1ヶ月じっくり時間をかけて、ようやく完成形となった。二つ目のシリーズは、「湿筆皴法」と名づける。このシリーズは、水墨山水画の筆触の勢いをイメージして展開している。「湿筆皴法」は、筆触の一貫性を保つことがポイントである。「湿筆皴法」を用いて仮山石を描くKS系>の場合、仮山石の部分は、「ちゅうほう」で水墨画のたっぷり水分が入った濃墨を用いてそつ」、「てきなどの筆致で、ペインティングナイフや筆を画面に押し付けながら引く。その用筆は筆致による連続性がありながら、筆致の押しや引きの勢いで筆力を湧き立たせるだろう。このような中国伝来の「湿筆」の筆法でペインティングナイフや筆を用いて、絵の具押し付けながら描く描法として「チー」を見出した。

 

 私の制作方法は、「気刀」や「気筆」の描法を駆使し、様々な筆致の運用に基づいて仮山石を画面に描き出すことである。ここで、「気刀」や「気筆」などの具体的な私の筆致における「皴法」と「気韻」との関係を検討してみると、私の作品は、仮山石の「形似」(現実対象物のリアルな再現)だけを追求するために行われるのではない。そうではなく、現実の仮山石の形を再現するのではなく「気刀」や「気筆」による様々な筆致を強調し、そこに制作者としての独特な感性を追求するものである。それによって画面上での筆法によって生み出された形象の中に「気」の生成の現象を重ね、「皴法」と「気韻」と自己の制作の複合的な関わり合いを実現することを目指したものである。ここで、「気韻」という中国の思想史上における偉大な概念と自己の制作において見出される表現上の現代的な観念の関わり合いを通して、「気韻」の意味の重要さを再認識するとともにその概念の現代芸術表現上の新たな可能性として再検討しようと試み制作を進行させた。

 

 

 

 

「気」と仮山石と中国絵画

 

 

論文要旨 

 

 「仮山石かざんせき」とは中国の庭園造形の中で用いられてきた天然石のことである。人々の自然回帰の願望をかなえるための手段と考えられてきた。仮山石に用いられた岩石の奇形と表面の凹凸は、中国の神仙思想にある仙境(仙人が棲むところ)のイメージと重なる。現代中国では、経済とテクノロジーの目まぐるしい発展により都市化が進み、以前には見られなかったような高層建築や高速道路が街の風景を一変させている。それでも今なお伝統的な「仮山石」が、都市の中の庭園にたたずんでいる。仮山石とは、古代中国のろう(生没年不)とそう(紀元前4世紀後半頃の思想家)による「気」の思想と深い結びつきを持っている。仮山石は、これまで中国絵画の中で最も代表的な題材として描かれ、評価されてきた。

 

 本論文では、仮山石の造形思想と「気」との関係についての考察を出発点とし、仮山石が描かれた唐代の絵画から宋代の絵画における描法の変遷に着目し、その分析をとおして中国絵画と「気」の思想との関係性について考察する。

 

 仮山石を描いた絵画は唐末五代の頃から現れる。唐代の絵画の描法の特徴は、明確な輪郭線による「鉤勒賦こうろくふさい」(ゆるやかで、激しい起伏や変化のない線描で輪郭を描く、そして、輪郭線のなか彩色する描法)であったが、宋代に水墨山水画が発展する過程で、変化に富んだ筆遣いによる皴法しゅんぽう」(岩や山脈などの質感、空間性を表現する描法、すなわち岩や山脈の表情の描写法である)という描法が発達し、しだいに「鉤勒賦彩」に取って代わっていく。画家の個性に応じて、多くの「皴法」という筆法が発明された。この作法はその後千年にも渡って続き、山水画の正統と見なされてきた。こうした描法の変遷過程に、中国絵画の評価基準の概念を重ねて考えると、それは再現的な描法から非再現的な描法への変遷と捉えることができる。「皴法」は、中国絵画における非再現性の根拠と考えられるが、こうした動向の根底にあるのは、中国絵画が事物の形よりも「気」の概念を作品に反映させることを求めたことにあったと推測することができるだろう。また「仮山石」を描いた絵画の造形理論の根拠は、「仮山石」の配石構成(特置、対置、群置、散置)や「仮山石」の鑑賞法(そうろうとうしわ)や「仮山石」を描いた山水画の筆法(皴法)に求めることができる。こうした筆法を知ることで、次に、制作者である私にとって有用な「仮山石」の性質と意味を導き出し、現代の絵画制作にどう活かせるかについて論考を展開した。

一方、「気」の思想には「形象は気から生じる」(「形象は気から生じる」という概念について、『荘子』の中には、このような記述が残されている。「おぼろなとらえどころのない状態のなかでまじりあっていたものから、やがて変化して気ができ、気が変化して形ができ、形が変化して生命ができた」(荘子、金谷治訳注、「知北遊篇」、『荘子』、岩波書店、1982年、pp. 1415という考え方がある。形を超えた「気」というこの概念を「気韻」として画面に反映することが、中国絵画の優劣の判断基準となっており、その起源はしゃかくちょうげんえんけいこうの文献において「気韻」を絵画の第一要件として挙げたことによる。筆者もまた、現代美術の制作者として、東洋の美術概念を自身の制作に反映したいと考え、仮山石を対象とした制作を行ってきた。自己の制作の当初から、「気」や「気韻」という概念について意識していたのであるが、制作を進めるうちに、筆者が問題にしようとしているのは仮山石そのものではなく、その背景にある「気」の思想であると考えるようになった。そのことで、筆者の制作と「気」の思想との関係性について考察する必要があると感じるようになった。

 

 本論文は、こうした筆者の動機に基づき、中国絵画の造形思想と「気」の思想との関係性を解明することを目的としている。同時に、その関係性がどのように自己の制作の状況、あるいは表現の可能性に結びついているかを明らかにすることを目指すものである。

本稿の考察の道筋としては、まず「気」、「気韻」と、仮山石の具体的な造形がどのような関わり合いを持つかを明らかにする。そのことによって、さらに「気」がいかにして「形態」を生成するものであるかについて明らかにしようとするものである。そして、それによって、世界万物の根源的な在り様への検討を目指そうとしている。そのことを具体的に実現するために仮山石を描いた唐代の絵画を端緒とし、唐代から宋代の絵画にかけての絵画の描法の変遷に着目し、それらをとおして中国絵画の造形思想と「気」の思想との関係性の解明を試みることとした。次に、仮山石をモチーフとした作品を通して「作品の『気韻』」の原点を自身が再認識するための検討を行った。なお、論考の進行においては、制作者としての立場から、制作の現場がどのようなものであるか、技術的な側面も含めて検証するようにつとめた。

 

 上記に基づき、まず第1章「中国絵画における『気』と『気韻』」において、本論文の軸となる概念について整理する。続いて第2章「仮山石について」において、先行研究を参考にしながら、仮山石の概要と「気」の思想との関係について述べる。さらに第3章「中国絵画の描法の変遷」において、唐代から宋代にかけた中国絵画の描法の変遷について検討する。そして具体的な描法である「皴法」と「気」思想の生成と実現の場である「気韻」の関わり合いを通して、中国絵画と「気」の思想との関係性を整理し、筆者の推論を展開する。そしてその「気」を、どのようにすれば画面に「気韻」として反映させることができるか、あるいは画面に「気韻」を漂わせることができるかについて、自身の作品の「筆法」と絵画面としての成り立ちがどのような関わり合いを持つかについて、個々の作品分析によって検討する。そこで、中国古来の描法分析の軸としての「皴法」の考え方から導き出された自己の「チートォ」と「チービィ」の描法が見出され得た。その自己の描法の析出によって、「皴法」と「気韻」と自己の制作の過程の関わりを明らかにすることができた。

 

 本論文では、今までさまざまに変化してきた自身の仕事を、「仮山石」と「気」、中国「道不離器」の考え方、「気」と有機的造形、「気」の生命性、時間性、道徳性、「気韻の場」、中国絵画と「気」など諸概念の枠組の関わり合いを通して考察することができた。これらの、考察の諸観点をもとに、「気」の思想とその実現の場としての「制作」、「作品」について、本論考え見出し得た「気の描法」としての「気刀」、「気筆」を通して、さらなる自らの「気の絵画」の生成、実現を目指し、それによってより一層の表現についての論究を今後も継続して目指すこととする。


 

 

 

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